こんな日がやってくるなんて思っても見ませんでした。やっとパソコンを開く気分になったというか・・・
我が家の被害は、停電による酸欠にて熱帯魚10匹死去、母子暖房なし2晩の寒さによりもろ風邪っぴき中。物の破損はちょこちょこありますが、大きい被害はなし。
そして、幸い身内などに沿岸の方はいないのですが、友人がちらほら・・・(短大が宮古だったので)安否いかに・・・
地震当日3/11金曜日。
病院の受付におりました。幸い、金曜午後は急患対応のみなので、患者さんたちはそれほどおりませんでした。地震は、大きいというより、長かった。
ロビーはガラス張りなので、いつガラスが割れるか心配になったし、カルテの棚が思いっきり倒れ、いたるところの壁に亀裂が入り、天井からは水漏れやらクズが落ちてきました。そして、止まらない余震。
子供たちは・・・まぁ、保育園とかは心配ないだろうな、という勝手な安心感あり。(幼稚園より被害なしメールがいち早く届く。)
職場が病院ということもあり、一般企業のように業務ができないからといって、すぐ帰れない・・・
停電の中、入院病棟への応援やら、病院にかかってくる緊急な電話応対があり、対策本部設置となり、残れる人は残れといわれる。私は帰るけど・・・
旦那が子供たちを迎えにいってくれたが、渋滞を懸念して私は大雪降る中、歩いて帰る。よりによって、雪なんて・・・
そして、2晩ほど停電で過ごす。水は出る。食料は生きていける分はある。日中は太陽光で自家発電できた。カセットコンロによる炊き出し作業は旦那で結構うまかった。買出しも思ったより普通にできた。
13日。電気も復帰。ありがたや〜〜〜。お風呂こんなに気持ちよかったかな〜。普通にご飯たける幸せ。
14日。どうしても出勤してほしいと上司より電話。保育園幼稚園は休みなので、旦那に休んでもらう。
沿岸から患者さん、結構いらっしゃいます・・・濡れた保険証受け取った時の衝撃・・・連れてこれたご家族はまだ幸せなのかな・・・などと思いながら・・・
でもなんだか、これからの生活のほうが心配。今日も買い物行けたけど、これからどのくらい物流ができるのか。ガソリン、灯油含。
スーパーの大半の物がおかれてない店舗、そして連日続く両園のお弁当持参生活。
今日の保育園は、それはそれは少人数。市役所からバナナとみかんの供給があったらしい。できれば、家庭保育をお願いされる。→無理・・・
幼稚園も前倒しで明日終業式。託児はするが、時間短縮。早退せざるおえません・・・
こんな状況の中でも子供たちを預けてまで、仕事に行かなければならない葛藤はありますが、こればっかりは仕方ないですよね。
と、日常に戻った我が家ですが、沿岸のことを考えると何も言葉がありません。
ご飯が普通に食べれる幸せ、家族が元気にまわりにいる幸せ、かみしめる事が多々あります。
とりあえず、私は早く風邪治さないと・・・仕事になりません。